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心の中を吐き捨てる場所

絶望

昨日から、ずっと、生産が先なのか消費が先なのか、いくら考えても、結論がでないことを考えている。

きっと、彼の好きな生産者さんも、最初は消費者側だったはずだ。それを貪り聴いて、今では生産者側に立っていらっしゃる。
私が聴いている限り、色んな拘りがあるようにも感じられる。自分の中で、良いものと駄目なものとを取捨選択できるというのは、私からしてみれば、プロ意識以外の何でもない。

そして、その人ありきのコンテンツを私は嗜好としているのだから、自分のことをおかしいと言われてしまうと、本当にただの消費者側でしかない、何も造り出せない、何も持っていない私は、目の前が真っ暗になる。

否定的な意味ではないのかもしれないけれど。

充分、素敵なものを持っている人でも、自信に満ち溢れてる人ばかりではない。頭ではわかっていても、なんだか昨日は、私の心の闇に一瞬で突き刺さって、とても苦しくなってしまった。

きっと、私は自分で考えているよりももっと「何もできない自分」に絶望していたのかもしれない。絶望して、頑張って、何かを始める訳でもないんだけど。

1つの言葉をスルー出来ずに、反発的な態度を取ってしまう私もただの子供なんだけどね。言葉って本当に難しい。いっぱい失敗してるはずなのに、中々成長できていなくて、自分でもがっかりしてしまう。

もっと素直で、可愛いげのある受け答えができるようになりたいと思うけど、そんな偽物の私を気に入って貰っても仕方ないしなと、あまのじゃくな私もいる。
まぁ、それ以前にきっとどうでもいい存在なんだろうと、またマイナス思考になってしまう。

ホント生きていくのって難しいなぁ。

儚い

美術館に行きたい。

天井の高い、無機質で、近代的な美術館じゃなくて、耐震性が心配になってしまうぐらいの古い洋館みたいな美術館。
ヴォーリズが作った建物みたいなの。大学の4年間、ヴォーリズの作品に触れて育ったから、あの懐かしい建築美術もすごく好き。

そこで、大きい、本当に大きいキャンバスに描かれた、鮮やかな油絵の西洋絵画を、目の前のイスに腰掛けながら、飽きるぐらいぼーっと見たい。

多分、心が疲れてる。

最近は、誰かと一緒に展覧会に行くことが多かったから、感想を言い合って過ごしていたけれど、込み上げる感情を、独りで我慢しながら観るのが、本当は1番好き。
普段、独りにされるのは嫌だけど。

今はデジタル化が進んで、何かに色を付けるのも簡単で、やり直しも何度もできるけど、何百年も前の、塗り重ねていくことで色を作っていく、失敗はできない、あの感じ。たまらない。

鮮やかな色の絵も、淡い色の絵も、どこか物悲しくて、寂しいから、わかりあえるのかもしれない。

楽しい時間は一瞬で終わるし、恐怖と寂しさはいつまでもついてくる。
美しい景色も災害が起きれば、なくなってしまうし、被害は尾を引く。

それを繰り返して人間は賢くなるんだろうね。
私はいつ賢くなれるのかな?って考えると、激情型な私には、賢く生きて行くことは無理だろうなと思って、笑ってしまう。

賢くスマートに生きなくてもいいから、ふと過去を振り返った時に、楽しかったと思える出来事がいくつかあれば、それでいいかな。
それが1番難しい気がするけれど。

願う

もうすぐ11月かと思うと鬱になる。

食べ物も美味しいし、例年通りであれば、過ごしやすい、ゆっくりできる時期だけど、今年に限ってはそうではない。

12月に入ったら、自分がいなくなるかもしれないと思ったら、どうすればいいか、わからない。
9割ぐらいは大丈夫なんだろうけど、世の中に絶対なんてないから。1割、いや、本当はもっと少ないであろう、起きてはいけない出来事に、不安で押し潰されそうになる。

何かあると、すぐに死にたいと思う癖に、本当は1番生きていたいと願っているんだな、私は。

さすがに、親より先に死んでしまうのは申し訳ないから、まだもうちょっと、生きていたいとは思うけど、なぜか昔から、長生きしたいとは思わない。

できれば、私のことを愛してくれる人より先に死にたい。
そして、その人がずっと私のことを心に留めて、切なさで胸を苦しくしながら、生きて行けばいい。

今、私がいなくなったとして、身近な友達は、泣いてくれるだろうけど、きっと彼は、いなくなったことも気づかないんだろうな。悲しいな。

偏り

雨だと、頭も痛くなるし、服も汚れるし、何より、髪の毛がまとまらないから、本当に嫌。

家の中に引きこもってる時の雨の音は好き。
けど、強すぎる雨音は不安感を煽るから嫌い。

暑さも寒さも、好きも嫌いも、適度ならば生きやすいのに。大体が、どちらかに偏って、しんどくなってしまう。

風でさえ、追い風になるのか、向かい風になるのか、わからない。
自然ぐらいは、私のしんどい人生を生きやすく導いてくれる存在でいてくれてもいいのに。

日本の四季は素晴らしいものだとされているけれど、4回も体調をガラリと変えられるのも、結構大変。
生まれた季節だから、やっぱり冬が過ごしやすい。雪は降らなくていいけど。

また、明日も台風らしい。
心が荒れずに過ごせますように…。
もう彼の傘が取られませんように…。

種類

なんで結婚は1人としかできないのに、好きな人はいっぱいいても許されるのだろう。

元々が1人しか好きって公言しちゃいけない、応援できない、ガチガチに固められた畑で育ったからなのか、私には理解できないことが多い。

唯一無二の「好き」と、代わりがいくらでもいるような「好き」が、同じ意味をなすとは思えないし、思いたくもない。
そして、それを同じだとも思って欲しくない。

日本語ってたくさんの意味が含まれるから、難しいけど、LOVEとLIKEぐらい別物だと思う。
英語はわかりやすくていいね。

世の中って色んな人がいるんだなと思うと同時に、そんなに1度に何人も好きになれて、ある意味幸せだねと思う。きっと生きていて嫌なこととかないんだろうなぁ。羨ましい。
まぁ、好きになられてる側が、どう思ってるのかは知らないですけど。

博愛で、万人ににアガペーをお与えになるのは、キリスト様だけでいいと思います。
私は人間なので、1つのことを信じて、愛でて行きたいです。

そして、あわよくば、そういう人が報われる、優しい世界でありますように。

愛とか、恋とか、好きって、理解しようと思っても、難しくてわからないね。

ペンギン

ファーストペンギンになりたい。

1番に飛び込む勇気も、何かを成し遂げる成果もないのだけど、突然に、そう思う時がある。

誰かに認められたいという承認欲求なのか、二番煎じの人生に飽きているのかは、わからない。
だけど、みんなと同じことを良しとする最近の風潮は、無能なイエスマンを、多く作り出すだけのような気がして嫌い。有能なイエスマンであることが、1番理想なんだろうけど、有能な人は、ほとんどがイエスマンではないんだろうね。

何かに逆らいながらも、自分を貫き通し、結果たくさんの人から認められる。そういうのに憧れる。

そういう人が100ページの本だとしたら、まだ私なんて2ページの紙きれぐらいしか、中身がないけど、いつかは100ページに近い状態まで持っていけるような、心持ちでいたいとは思う。

別に良いことがあったわけではないけど、今日はちょっとだけポジティブ。
頑張ることも、努力することも、多分しないけど、ポジティブに過ごせそう。
そんな気分だけしている。

不思議

ついさっき恐い夢を見た。

乗ってるバスがブレーキが効かなくなって、事故を起こす夢。
起きたら心臓が痛くてびっくりする。

良い夢は見たかどうかもわからないくらい、思い出せない癖に、何で昔から悪い夢だけは、鮮明に思い出せるんだろう。
不思議で仕方がない。

自分の将来に、夢とか希望を抱かなくなってから、「夢」という、とっても良い言葉を、マイナスの意味でしか使ってないような気がする。
もったいないね。

ふと、自分が「夢中」であることも、まやかしなのか、悪夢なのかと考えてしまって、そういう考えを思い付いてしまった、自分がちょっと嫌だなと思う。

楽しいことは素晴らしいことなのに、それの向こう側に悲しいことを勝手に考えてしまうのは、良くないことだ。

自分の中の何かを文字にしたいと思うけど、脳が寝たままなせいで、まとまりのないことしか思い付かない。

さっき悪い夢を見た癖に、少ししたらまた眠ってしまいたいと思うのは、なぜだろう。次が良い夢を見れるとは限らないのに。
ホントに不思議だね。