dustbox

心の中を吐き捨てる場所

変化

こちらが一方的に観に行っている場合でも、あちら側が観に来てくれたんだと認識した時には、それはもう「会う」という表現でいいのではないかと思う。

そう思っている方が楽しい。

恋はいつ愛になって、愛はいつ尊敬に変わるのか?

考え込んでしまうと生きていくことに疲れるから、私は自分の人生を頑張らずに、ある程度は適当に生きている。そんなちっぽけで悲しい人間だから、他人に尊敬の念を抱くことはほとんどない。
仕事を一生懸命頑張ってる先輩を見ても、私はそんなに頑張れないなぁと思ってしまうし、器用に頑張ってる風を装って終わってしまう。

しかし、恋しい人に関しては別だ。

淡い恋心が嫉妬や怒りを乗り越え、全てを包み込む愛になり、やがて愛しい人の一生懸命な背中を見ることで、自分も何か頑張らなきゃいけないと思わせてくれくれる。尊敬の念を抱く。

あの人は何の感情も持っていない、空っぽだった私に人間らしいものを与えてくれた。
尊敬、さらに感謝である。
今日はそれを強く感じて、ふわふわしたような気持ちで眠ることができそう。

他人に期待するわけじゃないけれど、世の中は冷たい人が多いなぁと思っていたところだったから、親切にされて嬉しかった。

帰りに買った晩ごはんも美味しかった。夜は今大好きな彼の歌声と楽しそうな話が聞けた。ちょっぴり楽しく生きている気がしている。

感情が目まぐるしいから、今日は文章もぐちゃぐちゃ。そうゆう日もたまにはあるよね。


神は私達など愛してはいない。
私達は神の駒に過ぎないのだ。

今日、1番心に刺さった言葉。
忘れないように書き留めておこう。