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心の中を吐き捨てる場所

渡せない手紙

数年ぶりにある人に手紙を書いた。 

魂が震えるほど好きになった人にしか手紙は書けないから、本当の意味での手紙を書いてきた人なんて今まで2人しかいないのだけれど、その最初の人。

メールやLINEが普及し、人に自分の気持ちを伝えるのさえデジタル化してしまった、この世の中で、私は手紙というアナログな手段をあえて大切にしたい。

手紙は私の激しい感情を一旦冷静にさせてくれる。重い愛情や醜い嫉妬は可愛く変換することができるし、口に出すと恥ずかしいような言葉も文字でなら伝えることができる。相手のことを想い、考え、どうすれば自分の心の中に涌き出る気持ちを正確に伝えることができるのか。言葉の引き出しを目一杯広げて、試行錯誤する。楽しい。 

誰よりも、本当に誰よりも愛情を文字にして書き殴ってきた私には「手紙」は、私とあの人を繋ぐツールであって、かけがえのない物なのである。いや、正確にはかけがえのない物だったという表現がぴったりかな?
別に理解してほしいなんて思っていない。私とあの人の関係性なんて普通の人には理解できないだろう。笑われたとしても、馬鹿にされたとしても気にしない。美しい思い出に変わりはないから。 

一般的に手紙は「出す」という動詞が付くのだろうけど、私達には手紙は「渡す」もの。渡さなければ意味がないのだ。手紙を渡せなくなると自分の中の感情を処理するのが大変だけど、最近それにもやっと慣れてきた。 

今回の手紙は渡せないけれど、あの人の手元に行った時にはきちんと読んでくれることを切に願う。読んで貰えない手紙ほど可哀想な物はない。
いや、違うな。手紙を読んでいる時間は私のことだけを考えて!私のことを思い出して!というワガママな想いを込めているから、読んで貰った時に初めて、一方的な愛じゃなくなるような気がするんだと思う。それが私の書く手紙の本当の意味なんだろうな、きっと。
どんなに月日が流れようとも私はワガママなままなんだろうね。

共依存を自ら放棄した私に対して怒ってるあの人に、まだ私のことを好きでいてなんて都合のいい発言はできないけれど、無関心よりはマシだから、その怒りの感情をずっと私にぶつけてて欲しい。そうすればあの人は永遠に私のことを忘れたりなんかしない。
歪んでる愛情だなと思って、自分でも笑ってしまうけど、まぁいいや。